2022/01/04

蟹座さまへの1月の手紙

 


親愛なる蟹座の皆さまへ


新年になりました。

2022年になりました。

11月、12月と、ブログを更新できなくてごめんなさい。


この投稿は、そういった事の背景とか事情とかについて、書いていきます。

これまでの事、そしてこれからの事などです。


最後の方に何か参考になる事を書くかも知れませんが、パッと見わかる蟹座の占星術の内容ではないので、読まなくていい方はそのようにどうぞ。


・これまでのこと・


2020年だったか、3月の占いを飛ばしてしまって、その頃は既に今の状態が始まっていたのです。今の状態というのは、自分の時間感覚のあまりの短さと、それ以上に大きなある種のつまずきで、それは、わかりにくいとは思うのですが、ひとことで言うと『わかってしまったので、見えなくなった』という状態です。


私はいつも占いの記事の下の方に、こういう一文を添えていました。


“天のカレンダーには、星の配置、ハウスの巡りに、良し悪しは書かれていません。

運がいいとも悪いとも、書かれていません。

書いてあるのは、「ありのままの、それだけのこと」。

起きていること、起きたことに意味づけをするのは、私たちが特定の概念に支配されているからかもしれません。

どんな事柄も、あなただけに特別に贈られてきたギフト。

ただ、添えられたカードが読めない文字で書かれている、それだけの事なのです。”


この文の、”添えられたカードが読めない文字で書かれている”の部分が、すべてではないとしても、わかるような、少なくとも、理解するための糸口のようなものを見つけてしまったのです。


私は2019年の秋頃からずっと、占星術の研究を続ける中で疑問だったことをより深く考えるようになっていました。それは「さまざまな困難はどうして、何故に起こるのか」というテーマです。


研究が深まるまでの私は、ホロスコープを読もうとすると人や場面がイメージとして浮かぶようなことが多くありました。また、星の配置について考えていると答えのようなものがスッと浮かび上がったりして、それをきっかけに記事を書いていました。


ホロスコープを眺めていて浮かび上がる出来事が困難なもののケースもあって、それについてはあえて書かなかった時もありました。

自分のための占断も同様で、見なければよかったと後悔する時もありました。


できるものなら、明るい未来や楽しい出来事、幸せな場面ばかりなら良いのに。本心からそう思っていました。それでも、天の円盤は巡り、幸運の星の滞在は短く、苦難の星の運行は不公平です。

幸せな時間はあっという間に過ぎ去って、長続きしない。

おそらく、多くの人が同じように思うでしょう。


だから、それらは何故起こるのか、その事についてずっと考えていたのです。

人生の運命のイベントはどのような原因で存在するのか、もっと言うと、星の巡りはどのような理由で存在するのか。


考え続けてある時、多分、「答えにたどり着いた」・・・のではないかと感じる時がありました。


そしてその頃にはもう、ホロスコープを見ても、何もイメージが浮かんでこなくなっていました。これはどういう配置だろう、という疑問にも、答えは返ってこなくなっていました。


それまでと同じような占いはどうにも、できないな、と思い始めていました。



・たどり着いた(と思われる)答え・


突然ですが、ここで、たどり着いた結論を蟹座の皆さまに披露しますね。


人生の中で起こる数々の困難や沸き起こる難題、辛さや痛み、悲しみ、それらは何故存在するのか。

私がたどり着いた答えは「それは選択のチャンス」という事です。


辛い時、苦しい時、悲しくていられない時、絶望さえ感じる時、などなどあらゆる困難、それらは、“「選択」のチャンス” が来た、というしるしなのです。

問われているのは「あなたはどちらを選ぶか」という、選べる機会なのです。


では何を選ぶというのでしょうか。

困難に負けない、とか、元気を出して頑張る、とか、我慢する、とか、勝ち負けの対処方法の選択ではないと思います。(勝ち負けの概念に引き戻されるので)

まして感情的になったりヤケになって無謀な手段をとることでは、絶対にありません。


言葉で簡単に表現するのはとても難しく誤解を招くかも知れませんが、あえて言うなら『善』を選ぶという選択です。選び続けることです。

そもそも、起きている困難をメタ認識して、概念的構造を分解することで置かれた世界の実像は概ね感じられるのではないかなと思うのです。

少なくともこの世界を支配している「何か」に気づいて、距離を置こうという心がけは持てるでしょう。


その上で、欲望や感情的な反応や、荒んだ心持ちなどに流される事なく『善』を選び続ける。

選択の目的は『慈愛』に達する事ではないかなと思います。


かなりスピリチュアルに傾きますが、『慈愛』が私たちの本質なんじゃないかなと思うのです。繰り返し繰り返しこの世界に降りてくるのは、そこに達するためなのかも知れません。

というか、思い出すため。あなたの本来の在り方を。


なにそれおいしいの?と言われそうですが、おいしいです。


こういった事の詳細は多分、別のブログで書くような内容だと思いますので、ここでこれ以上書くのはやめましょう。


とにかく、私はそこに至って、占って「当てに行く」ことはできなくなりました。当たっていたとも思えませんが、占断の基準も変わってきたからです。永続性のない物質的な幸福のビジョンが徐々に見えなくなったのです。



・これからのこと・


まだ、具体的にどうこうと言える段階ではないのですが、占いをやめるという事ではなくて、これまでと同じような占いではなくなるのかな、と思います。

同じように書いていくのはなかなか難しくなっているので、しばらくは手紙のように、パラパラと書いていくつもりでいます。


なので、それぞれの投稿のタイトルも、多分、手紙になるのかなと思います。


本当に誰かに宛てた手紙も出現するかもしれません。


実際、毎月占っていても誰のことも助けられていない感じは、ずっとありました。そもそも太陽星座には無理があるなあと何度も思いました。

かつてのように、イメージとして浮かび上がることがこの先再びあるとしたら、その人に宛てて手紙を書くのでしょう。

変なことを書くようですが、もっと、寄り添ってみたくなったのです。誰にという事でもなく。


私がこんな事態になったのは、多分、魚座海王星の影響でしょう。


2022年について考えるために、2025年くらいまでのホロスコープを出して見ていたのですが、魚座海王星もこの先それほど長く続くものではありません。100年単位でしか巡りこないタイミングです。どうか有効に活用してほしいです。


誰かのために、混乱した状態での自己犠牲ではなくて、より大きな目的をもって誰かのために心からの愛をもって物事にあたるとしたら、この時間の恩恵を最大限受けるのではないかなと考えられます。


さらに、とても短い期間ですが、既に海王星の滞在する魚座に木星はあります。この木星はある意味でこれまで世界にあった「木星的なるもの」との決別(あるいはその予兆)のために巡ってきています。

物理的次元において木星海王星の組み合わせは、常に望ましい状態を示すものはないと考えられます。ルーズになったり羽目を外してしまったり、枠を超えてやりすぎて失敗したり。


私がこんな投稿を書いているのはそのせいですね。おそらく、後になって盛大に後悔するのでしょう。



こういう風に「選択」のチャンスはやってくるのです。

私は、これまでと同じように何か利益を得るために有る事無い事を適当に書いていくのか?それとももっと誰か・何かに近づき寄り添うためにやり方を変えるのか?


ここで選び間違っても、おそらくまた選択のチャンスは何度もおとずれます。時々の課題に沿って。

忘れないでいたい、そしてできるならあなたも憶えていてください。

あなたが置かれた場所や状況、そしてあなたそのものが「運命」だとしても、そこでその時、あなたはあなたの考えや思いを「選ぶことができる」ということ。選択はあなたが決めるものだという事。


そして、それが天のカレンダーの示す「時」で、このギフトに添えられたカードに書かれたことなのです。



画像はフリー画像の ぱくたそ さんからお借りしています。

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